皆さんこんにちは!!! 3月になりましたね。絶賛春休み中ですが、いかがお過ごしでしょうか。
旅行したりバイトしたり、はたまた勉強したり就活したりと、さぞかし春休みを謳歌されていることでしょう。
わたくしはというと、“この春休みは普段やらないことをやってみる!”という信念を持って春休みを過ごしております。
しかし実際は、テキトーにバイトしたり昼過ぎに起きてだらだらと過ごしたりという、
普段やりまくっている堕落した生活を送ってしまっています。
本当によくないですよね。せっかくの春休みがもったいない。やはりこういう状況を脱するためには、いっそのこと
歩ハラされてふらっと2,30km散歩してみたり、フェルマーの最終定理の「真に驚くべき証明」を考えてみたりと、
およそ人間なら誰しもがやりたがらないような(言い過ぎ)思い切ったことをやったほうがいいのかもしれません。
まあ、いずれにしても充実した生活を送りたいものです。。。
そんなこんなで、あっという間に過ぎ去ってしまいそうな3月ですが、
今月をもって29期の方々が旅立たれます。29期の皆様、ご卒業おめでとうございます!!!
どんな時も気さくに優しく接してくださり面白い話をたくさんしてくださいました。
そしてなにより、いつも和気あいあいと楽しそうに過ごしていらっしゃったのが印象的です。
これからより一層お忙しくなるかと存じますが、お時間ありましたら是非とも
合宿や飲み会に遊びにいらしてください!またお会いできることを楽しみにしております!
さて、今月のコラムは財務外務のお2人にお願いしました!
ちょwwwお前www有名人じゃんwwwwwwな三隅くんと
ちょっぴりドジでお茶目なみんなのアイドル☆彡、建くんです。
これだけだとなんかヤバそうですが、実際は2人とも穏やかで優しいんですよ!
2人ともコラム執筆を引き受けてくれてありがとう!!!
それでは、花粉に負けず3月も張り切っていきましょう!!!!!!
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【トピック】
・3月の日程
・コラム1 三隅より
・コラム2 建より
・会員用ページID/パスワード変更のお知らせ
・写真募集のお知らせ
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《3月の日程》
3日(土) 夜練
4日(日) 追いコン
5日(月) 弓整理→夕練
9日(金)-10日(土) 園遊会
13日(火) 夕練
14日(水) 夕練
21日(水) 夕練
24日(土) 夜練
27日(火) 夕練
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《コラム1:三隅より》
こんにちは。32期財務の三隅彰太郎です。
Web担の常川君にコラムを頼まれたのですが、何を書けばいいのでしょうか。いろいろ考えましたが、そもそもみんなが僕のことを知らないのではないか、と思い立ちました。会話が苦手なタイプなので。ということで、今回は簡単に自己紹介をしていきたいと思います。すぐに終わるので、なんとなーく読んでいってなんとなーく僕のことを認知してくだされば幸いです。話は400年前に遡ります。
ピエール・ド・フェルマーは、1601年8月20日にフランスで生まれました。フェルマーの名前を見て、ある数学に関する言葉が思い浮かぶ方もいるかもしれません。そうです、「フェルマーの最終定理」ですね。ピエール・ド・フェルマーは、このフェルマーの最終定理を記した人です。ちなみにこの人、数学者ではありません。まあ数学を学ぶ者、という意味では人間誰しもが数学者といえるかもしれませんが、大学等で数学を研究してお金をもらっている訳ではない、アマチュアということです。彼はフランスの役人であり、また裁判官としての仕事も請け負っていました。彼はあくまで趣味として数学をたしなんでいました。
それでも、彼の数学は当時の数論の最先端を行っていたようです。彼は時折、数学者たちに新しい数学の定理を送りつけていました。「私はこの定理を簡単に証明できるが、あなたたちにできるかな?」といった感じです。そしてプロの数学者が頭を悩ませて証明を書き上げる間に、フェルマーはまた新しい定理を考えてくるのです。
フェルマーは数学の問題を解いたり新しい定理を発見したりするのが好きでしたが、その証明を発表することはありませんでした。彼は問題が解けたという達成感を求めていただけであり、また、証明という形にして発表することで第三者が重箱の隅をつついてくるのを嫌ったのです。
そうして数学者はフェルマーに振り回されてきたのですが、そのフェルマーも1665年に亡くなります。フェルマーはその研究の殆どを公表せず自分で満足するにとどめていたので、彼の研究は危うく数学界から消えてしまうところでした。しかし、彼の長男クレマン・サミュエル・フェルマーが、この発見を埋もれさせてはならないと考え、彼の残したメモや、『算術』という数学書に走り書きされた所見をまとめた本を出版しました。こうして、「最終定理」と呼ばれた難問が、数学者たちの目に止まることとなったのです。
「フェルマーの最終定理」はこのように綴られます。
Cubum autem in duos cubos, aut quadratoquadratum in duos quadratoquadratos, et generaliter nullam in infinitum ultra quadratum potestatem in duos eiusdem nominis fas est dividere cuius rei demonstrationem mirabilem sane detexi. Hanc marginis exiguitas non caperet. (Wikipediaより引用)
ラテン語で書かれているそうです。最後のHanc marginis exiguitas non caperet.の部分は、知っている方も多いと思います。Google翻訳にかけると、「この瀬戸際の息切れ、彼は彼女を含めることができませんでした。」と表示されました。つまりそういう意味です。違います。「それ(証明)を保持するだけの余白がない」と訳します。たぶん。全文を日本語訳すると「立方数を2つの立方数の和に分けることはできない。4乗数を2つの4乗数の和に分けることはできない。一般に、冪(べき)が2より大きいとき、その冪乗数を2つの冪乗数の和に分けることはできない。この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる。」となります(Wikipediaより引用)。つまり、 を満たす自然数の組は、3以上のnについては、存在しないということです。
息子が出版した本に載っている48の所見は、数学者達の手によって徐々に解き明かされていきました。オイラーの定理で知られるレオンハルト・オイラーは、7年の歳月をかけてフェルマーの素数定理を証明しました。しかしこの予想だけは、フェルマーの死後300年にわたり、数々の数学者が挑戦してきましたが、そのすべてが失敗に終わっていたのです。前述のオイラーは、虚数単位を導入して、n=3の場合の証明に成功しましたが、結局それより先は証明できませんでした。その後も、1825年にグスタフ・ルジューヌ・ディリクレらが、1839年にガブリエル・ラメがソフィー・ジェルマンの方法に改良を加えた証明方法でそれぞれn=5, n=7の場合の証明に成功するなど、微速ながら証明は進んでいましたが、それでも一つ一つ個別にやったところで、自然数は、いや素数に絞っても、無限に存在するのです。この問題は、数学者を陥れる禁忌の問題として扱われるようになっていきました。
ここから本題に入ります。いままでの話は正直僕の自己紹介とあまり関係があるとは言えませんでしたが、お待たせしました、ここからはいよいよ僕の自己紹介とは全く関係ありません。
アンドリュー・ワイルズは、1953年4月11日にイギリスで生まれました。彼は若いうちから数学に興味を持っており、10歳の頃には算数の問題ばかり解いていました。学校の帰り道に図書館に寄ると、数学のパズルが載っている本がたくさんありました。そういった本はたいてい巻末に答えが載っていたのですが、彼が最も興味を示したのは、ある一つの問題しか載っていない、そして答えが書かれていない本でした。フェルマーの最終定理について書かれた、エリック・テンプル・ベルによる『最後の問題』です。アンドリュー・ワイルズは、フェルマーの最終定理に出会ったときのことを後にこう語っています。「その問題はとても簡単そうなのに、歴史上の偉大な数学者たちが誰も解けなかったというのです。それは十歳の私にも理解できる問題でした。そのとき私は、絶対にこれを手放すまいと思ったのです。私はこの問題を解かなければならない、と」
1975年、ケンブリッジ大学の大学院生だったワイルズは、研究者としての生活を始めようとしているところでした。ここでは3年間、それぞれの院生が一人の指導教官について指導を受け、博士論文のための研究をします。ワイルズの指導に当たったのは、ジョン・コーツという教授でした。ワイルズは、10歳の時にフェルマーの最終定理の魅力にとりつかれて以来、この問題を解くための準備しかしてきませんでした。しかし、ジョン・コーツはワイルズにフェルマーの最終定理の研究をさせることは望みませんでした。いままで300年間、様々な数学者の挑戦をはねのけてきた悪魔の問題です。アンドリュー・ワイルズは院生時代から優秀な成績をおさめていましたが、だからこそ、その才能を一生フェルマーの最終定理に費やし、結果を出せないまま終わらせる訳にはいかなかったのでしょう。結局、コーツがワイルズの研究のために選んだのは「楕円曲線」あるいは「楕円方程式」と呼ばれる分野でした。これについては僕もよくわかっていないので詳しくは語りませんが、 で表せる方程式のことを指し、が整数解を持つか、持つとすればいくつ持つか、を調べるのが課題となるらしいです。
コーツの指導の下ケンブリッジ大学で博士号を取得したワイルズは、プリンストン大学の教授となっていましたが、世界中の誰よりも楕円方程式に精通していると言っても過言ではないくらいの知識を持っていました。しかし、ワイルズはまだフェルマーの最終定理に対する情熱を忘れてはいませんでした。
ここで、谷山=志村予想の話をしようと思います。谷山豊と志村五郎という日本の数学者が発表した数学に関する予想なのですが、まあ名前だけ語っても仕方ないので、素直に内容を話すことにしましょう。その方がわかりやすいでしょうし。谷山=志村予想とは、簡単に言うと「すべての楕円曲線はモジュラーである」だろうという予想です。全くわかりませんね。モジュラーって何なんですかね。モスラとゴジラがごっちゃになっちゃったんですかね。モジュラー形式とは、まあこれについても僕は詳しく説明できないのが申し訳ないのですが、最大級の対称性を持つらしいです。結局よくわかりませんね。ここでわかってほしいのは、谷山=志村予想が楕円方程式に関する予想であること、谷山=志村予想が楕円方程式とモジュラー形式という二つの領域をつなぐものであると言うことくらいです。
後者は数学の可能性を広げる非常に重要なことです。事実、谷山=志村予想は未証明の予想であるにもかかわらず、「谷山=志村予想が正しいと仮定すると……」という形で、何百もの論文に引用されていました。数学において、証明と予想との間には決して越えられない壁があります。数学の理論は、正しいと証明された事実を土台として発展させていくのですが、あやふやな理論を元にした論述は、それがどんなに美しいものだったとしても、元とする理論が間違っていたら何の価値もありません。谷山=志村予想をもとに何百もの理論が展開されましたが、谷山=志村予想が間違っていたらすべてが水泡に帰すのです。それでも、数学者は谷山=志村予想に注目していました。実際、ただ解くことが難しいだけのフェルマーの最終定理よりも、数学の世界を広げた谷山=志村予想の方が数学的には価値があるでしょう。
次に前者に関連する話をしましょう。1984年、ドイツで数論に関するシンポジウムが開かれました。その中でゲルハルト・フライは、谷山=志村予想を証明することは、そのままフェルマーの最終定理の証明につながるという主張をしました。まあその説明もがんばればできるのですが、フェルマー大先生のお言葉を借りると、この瀬戸際の息切れ、彼は彼女を含めることができませんでした。おっと間違えた、この余白はそれを書くには狭すぎる、でした。よって詳しくは説明しません。簡単に言うと、フェルマーの最終定理が間違っていると仮定すると、を満たす自然数が存在することになりますが、そのを用いて、楕円方程式 を作ると、この楕円方程式はモジュラーではないというのです。しかしそれは「すべての楕円曲線はモジュラーである」という谷山=志村予想と矛盾します。よってフェルマーの最終定理は正しい、そういった背理法です。
ここで一つ見えてきましたね?アンドリュー・ワイルズは、フェルマーの最終定理を証明したかったが、教授に勧められていったん楕円方程式の研究へと進み、楕円方程式のプロとなった。ところで、ゲルハルト・フライが今、楕円方程式に関する重要な予想である谷山・志村予想を証明すれば、簡単な背理法によってフェルマーの最終定理を証明することができることを発見した。そうです。フェルマーの最終定理から離れたかと思えたワイルズの楕円方程式に関する研究は、決してフェルマーの最終定理から離れてなどいない、むしろ今の時点でフェルマーの最終定理を証明する最も正しい道だったのです。
そしてまあいろいろあって、ワイルズは1993年の6月21日から23日にかけての講義でフェルマーの最終定理の証明を発表しました。本当はその前にも最中にも後にも書きたいことはあるのですが、この余白はそれを書くには狭すぎる。あと僕が真面目な文章を書くのに疲れました。すみません。
というわけで、自己紹介とは一切関係ない話をしてしまいましたが、とりあえず僕が他人に自作の長すぎる駄文を読ませて時間を浪費させることが好きな残念な人間だと言うことはわかっていただけたかと思います。こういう人間です。はい。ここまで我慢強く読んでくださった方、本当に申し訳ありません。なんで謝ってるんだ僕は。
あっ、そうだ、僕実は財務なんですけど、2018年度前期会費の徴収を始めました。練習に僕が来ている日に会費3000円を持って来てくださった方は、三隅に渡してください。今なら応募者全員サービスで新しい会員用ページへのログインに使えるシリアルコードもついてくる!よろしくお願いします。
P.S. フェルマーが書き残した「真に驚くべき証明」ですが、これについては、フェルマーはどこかで証明にミスをしていて、実際には証明できていなかったのではないか、というのが現在の有力説です。現にワイルズが証明に使ったモジュラー形式という概念は、19世紀に発見されたばかりの分野ですし。ですが、今でもアマチュア数学者はフェルマーの最終定理の新しい証明を探しています。350年間誰も気づかなかっただけで、フェルマーは本当に「真に驚くべき証明」を見つけていたかもしれませんからね。この文章を読んでフェルマーの最終定理に少しでも興味を持った方がいましたら、是非この「真に驚くべき証明」を考えてみてはいかがでしょうか。僕はやりません。
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《コラム2:建より》
皆さんご機嫌いかがでしょうか、今回のコラム担当、32期外務の建でございます。
(PC担当さん、納期ギリギリ(あうと)の提出になってしまいすみません(>人<;))
新しくKQCに入ってくれる33期の人達に向けたアピールも兼ねて、このコラムでは自己紹介と趣味のゲームの話をしようかなって思います。殆ど趣味が占めていると思います。
小さい頃はゲームキューブでよく遊んでいました。特に楽しかったのは、スーパー◯リオサンシャインという、水で世界を浄化する感じのゲームと、カー◯ィのエアライド、スマ◯ラDX…とかとかです。特にカービ◯のエアライドは凄いと思います。レースが好きな人や、スマブ◯3dsのフィールドスマッシュが好きな人は特におススメします!カ◯ビィが乗り物に乗って頑張るゲームです。めちゃめちゃ面白いです。
中学生になるとケータイゲームがブームになりました。火の玉◯ーイズとか、ギリギリジャン◯ーとか、ズーキー◯ーなどなど。パズ◯ラ?黒猫のウィ◯?知りません。スマートフォン持ってなかったので(T ^ T)
高校生は勉強しようかなって思いながら、みんなでWiiやWiiUのゲームで沢山遊べました。Wiiのマリ◯とか、桃◯って、いい感じに友情破壊されておもちろかったです。スマホは持っていませんでした。
華の大学生になり…スマホを!感謝でいっぱいです!まだまだスマホゲームがわからないので、おススメの作品があったら是非建を呼んでください!多分おそらくもしかしたら絶対喰いつくかもしれません!
長くなりましたが、32期外務、建の自己満足にお付き合いいただき、ありがとうございました!
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《会員用ページID/パスワード変更のお知らせ》
2018年度前期より、KQCホームページの会員用ページのログインIDとパスワードを変更いたします。
新しいIDとパスワードにつきましては、前期会費を支払っていただく際に、財務よりご連絡いたします。
ご理解とご協力のほど、よろしくお願いいたします。
(内務:常川)
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《写真募集のお知らせ》
KQCでは、新入生や外部の方々にKQCの雰囲気を知ってもらうために、Facebook上に
写真を掲載して公開しております。従いまして、KQCの雰囲気が伝わるような写真を
お持ちの方は、ぜひとも32期常川和浩までデータをお送りください。
LINE、Twitter、メール(下記アドレス)のいずれかにて、お送りいただければ
幸いでございます。その際いつ頃に撮った写真なのかをご明記ください。
また、ご自身の写真が掲載されることに抵抗のあるという方や、
すでに掲載されている写真のなかで削除を希望するものがあるという方も、
常川まで直接、もしくは上記3つの媒体のいずれかよりご連絡ください。
フォトギャラリーに関するご意見も同時に募集しております。
皆様からの素敵な写真を、心よりお待ちしております。
(内務:常川)
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KQC times 3月号
KQC timesでは、皆様からのご意見・ご要望をお待ちしております。
常川までご連絡ください。
(文責:32期 常川和浩)
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